山階芳麿 私の履歴書

 

第14回 標本館財団法人化

すべて寄付、一般公開 年を追って充実した内容に

十余年にわたる国内及び近隣諸国への採集者派遣によって集められた3万点の標本に加え、外国博物館との交換、寄贈、購入などにより、山階鳥類標本館の標本はさらに一層充実した。また鳥類関係図書も数多く集められた。こうしたたくさんの貴重な資料を、私一人で独占しているのはもったいない。また、当時は鳥類研究者も少なく研究者は外国の資料にふれる機会は少ない、発表の場は限られている…といった具合に恵まれずにいたので、標本館を財団法人として一般に公開し、研究者へ資金的に援助できるようにすることにした。

妹むこの浅野長武侯爵に相談したところ、浅野家の旧臣である賀屋興宣大蔵大臣を紹介してくれた。賀屋蔵相は寄付行為の案文を作ったり、手続きなども教えてくれたので、昭和17年5月に所管の文部省に申請書を出し、同年7月18日に財団法人の認可がおりた。

土地約900坪(約2970平方メートル)、建物126坪(約416平方メートル)、標本約3万5000点、図書3600冊、基本財産として有価証券、現金20万円など、すべてを寄付した。今でこそ20万円といえばサラリーマンの1ヶ月の給料にも及ばないが、当時は、毎年学者を海外に派遣することができる金額であった。

財団法人設立時の役員は、理事長が私、専務理事が福原五郎氏、理事には学者の岡田弥一郎、古川晴男両先生、評議員には浅野長武、弟の筑波藤麿の両侯爵、学者の内田清之助、小熊捍、田中茂穂の諸先生になっていただいた。

標本や図書類は年を追って充実したが、それらの中には次のような貴重なものがある。

〔日本産の絶滅鳥〕ミヤコショウビン=琉球列島宮古島で大正8年に採集。世界で唯一の標本。

〔外国産の絶滅鳥〕ドド=モーリシャス島にのみ産したクチバシが異常に大きい飛べない鳥。今から270年ほど前に絶滅した。骨格の一部がある。▽モア=ニュージーランドにいた、高さ3.6メートルもある鳥類中最大のもので、翼はない。約150年前に絶滅。骨格の一部。▽リョコウバト=北アメリカ産のハトの一種。1888年採集のもので標本は2点。このほかに、大西洋にいたオオウミスズメ(骨格)、北米のカロライナインコ(標本2点)、ハワイ群島のマモ(標本1点)などもある。

さらに、学名をつける時の根拠となった模式標本も、私が採集したものが約60点。他の人の手によるものが49点に及んでいる。

標本の中には購入したもの、他から寄贈を受けたものなどもまじっている。それらのものでまとまったものの一つは東京帝国大学動物学教室の標本で、動物学教室の初代箕作教授、二代飯島教授が明治20年以前に採集した日本の鳥類で、絶滅鳥のものもある。ミヤコショウビンもこの中の一つである。またロンドンの世界的標本商ローゼンベルク商会からも多数購入している。風鳥科の標本、蜂鳥科の標本、全世界の鳥の属の代表種の標本などがある。

さらに一括購入したものとして、大正から昭和にかけて鳥類標本の採集、学術調査を行った籾山徳太郎氏のコレクション、寄贈を受けたものには蜂須賀正氏博士の外国産の絶滅鳥を含むコレクションがある。

一方、鳥類関係図書はアジア・太平洋区域に関係あるものが中心で、古いものではアルドロバンディ(1637~46年刊)、リンネ(1758年刊)らの著作、シーボルト(1844年刊)の日本の鳥に関するものなどがそろっている。なかでも19世紀中期までに出版された本、例えば12冊だけ出版された「シノプシスス・アチキトレス」という本などは、画家が描いた輪郭を白黒印刷し、あとはすべて手彩色したもので、最近ニューヨークのアメリカン・ミュージアムがやっと手に入れたというものである。

これらの稀書は、第一次大戦でなくなってしまったヨーロッパの小国の国立図書館などから散逸したものが多く、ベルリンやロンドンの古書店に出回ったのを買い集めた。当時、日本は好景気で1ドルが1円80銭だったので、外国の古書店には良いお客だったようだ。

(日本経済新聞 1979年5月10日)

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