第17回 山階芳麿賞贈呈式・記念講演

 

2012年11月15日更新

山階鳥研は去る9月23日、有楽町朝日ホール(東京都千代田区)で、第17回山階芳麿賞贈呈式・記念講演会を開催しました。受賞団体「日本イヌワシ研究会」の小澤俊樹会長に、総裁の秋篠宮殿下から賞状と記念メダルをお贈りしました。

また、「日本イヌワシ研究会」を代表して小澤俊樹・同会会長が受賞記念講演を行いました。
(山階鳥研NEWS 2012年11月1日号より)

第17回 山階芳麿賞贈呈式

林良博・山階芳麿賞選考委員長から、贈呈理由の説明があり、受賞団体「日本イヌワシ研究会」の小澤俊樹会長に、総裁の秋篠宮殿下から賞状と記念メダルをお贈りしました。続いて喜園尚史(よしぞのひさし)・朝日新聞社広報・環境担当から副賞(朝日新聞社賞)として、盾と賞金50万円の目録が贈呈されました。

引き続き行われた小澤会長の受賞記念講演「日本イヌワシ研究会の活動とイヌワシの現状」では、同会の発足のいきさつから説き起こされ、ノウサギやヤマドリばかりでなく、シカの子供や同じ猛禽類のクマタカも捕食する生態や、繁殖番い数が急激に減少している実態が紹介され、約230名の参加者が熱心に耳を傾けていました。

「日本イヌワシ研究会」受賞記念講演

日本イヌワシ研究会の活動とイヌワシの現状

日本イヌワシ研究会会長 小澤俊樹

このたびは、鳥学研究において最高の栄誉である山階芳麿賞を、日本イヌワシ研究会にいただきましたこと、会員一同、心より感謝申し上げます。

当会の発足の話をする際に、永久名誉会員の重田(しげた)芳夫さんの話をしなければいけません。重田さんは1963年に中国山地で初めてイヌワシを目撃して以降、その後の人生すべてをイヌワシの生態研究にかけた方でした。この重田さんが全国各地のイヌワシに関心を持つ者を結びつけ、ネットワークを構築したといわれています。重田さんは1978年に61歳で亡くなってしまいましたが、志を受け継いだ各地の観察者30名が、朝から夕方までイヌワシを100%目撃追跡することを目標に、1980年4月、滋賀県の鈴鹿山脈に集まり、全国初のイヌワシ合同調査を行いました。無線によるリアルタイムの情報交換を行う世界でも初めての試みでした。第1回の合同調査は春の嵐に襲われ、完全に満足できる結果は得られませんでしたが、同年秋に同じ鈴鹿山脈で行われた第2回合同調査の結果は素晴らしい成果を得たと聞きます。そして1981年5月に奈良で実施された第3回の合同調査に集まったメンバーから、日本での分布や生息数、生態を明らかにし、科学的データに基づく具体的な保護対策を早急に構築するため、イヌワシ専門の調査研究を行う全国組織が必要との意見が出され、参加者全員一致で日本イヌワシ研究会が発足しました。

当会の活動は各地の会員がイヌワシとその生息環境の把握のために山で調査を行うことがすべての基礎になっています。それとは別に、会全体として行う活動の一つが合同調査です。生息が不明な地域や調査者が不足している地域を中心に、年1回程度、各地の会員が1カ所に集まり大規模調査を行います。そして、イヌワシの状況が悪化している近年、特に重要視されている基幹事業に、全国イヌワシ生息数、繁殖成功率調査があります。保護に不可欠な全国の生息数と生息状況、繁殖状況を明らかにする調査で、30年分のデータが蓄積されています。そして、研究結果を発表するための機関誌『Aquila chrysaetos』は現在までに22号が出ています。また、会員どうしの情報交換、勉強の場としてのシンポジウムなども開催しています。

今回の贈呈理由で、生息地の急峻な地形のため調査が困難であるという、目に見えない部分も評価いただいたことは、非常にありがたく感じることでした。そのような自然との闘いとは違った面での苦悩もたくさんあり、例えば、開発計画がある地区でイヌワシの生息とその環境の重要性について意見を述べた会員やその家族が、地元で誰からも口をきいてもらえなくなり、レストランでコップの水をかけられたといった例もあります。東日本大震災では、多くの会員が家や車を流されたり、また家を原発から離さなければいけない状況に立たされました。しかし、ほんの数カ月後の仮設住宅の中で出た会員の言葉は、「カメラと望遠鏡だけは持って逃げたよ」とか、「会長、ワシを見てきたよ」といった、被災していない会員の心を奮い立たせる強い言葉でした。さまざまな苦悩や闘いにも会員が耐えてこられたのは、先輩会員より受け継いだ強い思いと、飛翔する姿やヒナの顔を想像し、実際に見に向かうことができたからでしょう。

イヌワシの個体数は、全国で150から200ペア、500羽程度しかいません。しかも近年急激に個体数を減らしていて、当会で登録されている237ペアのうち、3分の1近い77ペアの消滅が現在までに確認されています。このうち半数を超える39ペアはここ5年で消滅しており、状況は極めて深刻です。さらに、日本でも有数の生息数を誇っていた石川県や富山県では、20年ほど前の4分の1程度にまで激減していることが分かっています。繁殖成功率は1980年ごろは50%を超えていましたが、現在では20%前後にまで落ち込んでいます。この数字は、現存するペアだけを分母にしており、消滅したペアは含まれていませんので、より深刻な事態が裏に隠れているのです。繁殖確認された地区はほとんどが本州ですが、北海道から九州まで広く分布しています。

イヌワシは奥山に棲むというイメージをお持ちと思いますが、実際には海岸部に極めて近い低山帯から、落葉広葉樹林帯、亜高山帯、そして3000メートル級の山まで、さまざまな地形、標高の山を利用しています。そして、最も多く狩られる餌はノウサギとヤマドリ、アオダイショウの3種です。しかし、非常に小さな幼蛇やネズミ、小鳥や、海岸部ではウミネコやオオセグロカモメ、大型のものではカモシカやシカ、イノシシの幼獣も捕食します。また肉食動物のキツネも捕食しますし、クマタカのほか中型以上の猛禽類はほとんどが狙われます。このようにイヌワシは小さなものから大きなものまで、日本の森林に生きる多種多様な生き物を餌資源として生きています。

イヌワシが生息していた石川県や富山県の山の環境写真を見ると、昭和30年代は茅場や薪炭林として広く使われていたので、伐採地やさまざまな樹齢の林、そして伐期前の林とがモザイク状に広がっていましたが、現在は木が斜面を覆っています。多様な餌の動物を減少させ、イヌワシの繁殖率や個体数減少を招いている最大の理由が、こういった山の変化だといわれています。

主要な餌生物であるノウサギの狩猟頭数は、戦後少し後ぐらいから1970年代半ばぐらいまでの年間100万羽前後から一気に下がって、現在では3万羽程度にまで落ち込んでいます。ヤマドリの狩猟羽数も同様に急減しています。猟師さんの数も減ってはいますが、ノウサギやヤマドリの減り方のほうがずっと激しく、実際にこれらの餌生物の数は相当減っていると言えると思います。

それでは現在の荒れ果ててしまった山をどう活用していけばよいのでしょうか。日本人は40~50年前まで、炊事や風呂の燃料をはじめ生活全般ともいえる多くのことについて、山からの恩恵を受け生活していました。しかし、森林の利用はここ50年ほどの間に一変してしまいました。燃料は電気、ガス、石油に変わり、木材は8割を輸入に頼り、鉄筋コンクリートで造る家が増え、食料自給率の向上を目指しながらも、家畜の飼料や田畑の肥料を輸入に頼るなど、日本人は価格や利便性に負けて山から離れてゆき、現代の荒廃した山がつくられていったのです。

また昭和30年代には膨大な木材需要が予想され、スギ、ヒノキが一斉に植えられました。しかし、規模の膨らみすぎた人工林に手が回りきらず、安価な外国産材に負け、どんどん手入れのされない林が増えていきました。山全体が植林一色では難しいですが、人工林もしっかりした管理をして光の当たる明るい林になれば、中小型動物にも十分使える林となります。また下草が刈られ、よく管理された若齢の人工林、伐採跡地などもイヌワシの狩り場となります。

現代の山の活用例として、スギの伐採後に、クリや、木製楽器の材料となるカエデを植える例や、炭やシイタケのほだ木のためにクヌギやナラ林が管理されている場所もあり、屋根を葺くカヤを地元で賄えるように、茅場を増やし管理する活動なども始まっています。

こういった活用をしなくても200~300年したら極相林に近い林になるかもしれませんが、それまで待っていたのでは、多くの貴重な生物が日本の至る所で姿を消してしまうのではないでしょうか。その土地に合った山の価値や目的を見いだし、管理し活用すれば、中小型動物の棲みやすい環境に少しでも近づき、イヌワシにはもちろん、われわれ人間にとっても安全な水や食料、そして薬の原料、また土砂災害などの自然災害から身を守るなど、多くの安全を自然から提供いただくことにつながるのではないでしょうか。生活が変わってしまった現在、山の活用が口で言うほど簡単ではないことは承知していますが、その地域で使う分を少しずつでも輸入などに頼らず、山を使わせていただく形に変えられたら、そして多くの人に山と接する機会が増えたなら、人の考えも自然環境も、いまとはずいぶん違うものになるのではないでしょうか。そうすれば、豊富な餌がヒナのもとに持ち込まれるようになり、イヌワシの繁殖率向上、個体数維持に大きな助けになるでしょう。

日本イヌワシ研究会は、イヌワシの現状を把握し、今後もイヌワシとその生息環境の保全に対し、全力で取り組む所存です。多様な生物が暮らす広大な自然は、さまざまな分野の方々と知恵や力を出し合うことでしか保全していくことはできません。今後、多分野にわたる皆さま方との協力で、1羽でも多くの若ワシが巣立ち、大空を舞うように願いを込めまして、私の話を終わりにさせていただきます。

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