所蔵名品から

第14回 お正月に描いたハンザキ
― 生物学者・石川千代松博士の墨画 ―

作品 生物学者・石川千代松博士の墨画
作者 石川千代松
制作年 1921年
技法 和紙に墨で描く
サイズ 縦40.9cm×横31.3cm

山階鳥類研究所は不思議なところです。

鳥の研究所ですから鳥に関するものが収められているのは当然のこと。しかし、多数積まれた資料の山の中から「これは何?」「どうしてここに?」と思うものを資料整理の中で見つけてしまうことが時々あります。今回はそんな資料の一つ、「ふしぎな墨絵」をご紹介しましょう。

その日は何を探していたのか。それともただ、この引き出しには何が入っているのだろうと開けてみただけなのかも知れません。引き出しには、古い書類とともに「東京帝国大学農学部教授 故 石川千代松先生遺筆 山階鳥類研究所蔵」と書かれた丸筒がありました。そしてその中には半紙のような和紙の薄紙に墨で描かれた3枚の画がありました。そのうちもっともインパクトがあったのがこの画です。画の右下には「辛酉元旦 石川千代松」という名が書かれています。

なぜ、石川千代松博士の遺筆が山階鳥研にあるのか。好奇心は湧くもそこは浅学の悲しさ。ひとつひとつ文書をひもとくと・・・・。

石川千代松博士(1861~1935)は進化論の普及や細胞学・発生学など日本の生物学の礎を築いた研究者のお一人です。東京帝国大学(現在の東京大学)で動物学を学ばれ、さらに国費でドイツに留学し、多くの研究をまとめられています。つまり石川先生は新進気鋭バリバリの研究者だったのですね。そして帰国後もスッポンやアユなどさまざまな生物を対象に幅広い分野での動物学についての研究を行うとともに、東京帝国大学農科大学動物学教授として後進の指導にあたられています。

では次に、石川先生とここに描かれた生物との関係です。先生についての伝記を読みすすむと出てきました、ハンザキという生物が。石川先生の様々な研究対象生物の中にハンザキがいるのです。当時の図鑑でハンザキを調べると、そこには現在私たちが両生類オオサンショウウオとして知っている、この画とそっくりな生き物の画がありました。そして石川先生のご著書には『はんざき(鯢)調査報告』(石川千代松著・1904年・27頁・東京帝室博物館発行)というものもあるのです。このほかにも1904年から1909年にかけてオオサンショウウオについていくつかの論文を著されています。さらに、いくつかの文献を見てゆくと「石川先生の書かれた色紙」と題された写真には真中に「どーん」とハンザキが書かれてありました(注)。

・・・・ここからは私の想像です。

石川先生は昆虫や海産生物の採集にはじまって、ミジンコ、スッポン、琵琶湖のアユ、はてはクジラまで、様々な生物の研究に携わられています。しかし、先生のお気に入りは「ハンザキ」であったのです。年が改まった辛酉元旦(1921年のお正月)、新年を寿ぎ、お屠蘇をいただき、お節料理をつまみながら熱燗で一杯。「さて、一筆したためますかな」という具合に文机に向かって描かれたのがお気に入りの生き物「ハンザキ」。本に載っている先生の写真は、白い髭をたくわえ、眼光鋭く「かなりこわそうなご老人(失礼)」です。しかし、こんな想像をしているとこわそうな写真の目がにっこりしたような気がします。石川先生いかがですか?

ではどうして石川先生のハンザキの画が山階鳥研にあるのでしょうか。山階鳥研は現在は財団法人ですが、はじめは創設者山階芳麿博士(1900~1988)がご自身の研究のために1932(昭和7)年に建てた施設でした。そのため、現在の山階鳥研が所蔵する資料のなかには山階先生個人のものであった資料もかなり含まれているのです。また、山階先生は1929(昭和4)年に東京帝国大学理学部動物学選科に入学され、脊椎動物学、無脊椎動物学、実験形態学や生理学を聴講されています。今となってはこれも想像の域を出ませんが、大学で講義を聴講される中で石川千代松先生の講義を受けられたのか、または動物学会などの学会活動を通じてご親交があったのかも知れません。このようなことから、石川千代松先生の遺筆である墨画が山階鳥研に所蔵されているのではないでしょうか。

鳥に関する資料ではありませんが、日本の生物学に寄与された、難しい本の中でしか知ることのできない雲の上のような先生が描かれたこんなちょっと変わった資料も山階鳥研の「名品」であると私は密かに思っています。
(資料室図書担当 鶴見みや古)

(注)増井 清 1981年 動物学者石川千代松先生 採集と飼育  334~337頁。

山階鳥研NEWS 2003年7月1日号(NO.172)より

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