山階芳麿 私の履歴書

 

第29回 デラクール賞

世界の仲間の贈り物 鳥のためにまだまだがんばる

80年に近い人生を鳥の研究と保護に過ごして来た私であったので、昭和52年に、国際鳥類保護会議からデラクール賞の受賞を知らされた時には大変名誉に思った。

デラクール賞は"鳥類学者のノーベル賞"と呼ばれ、国際鳥類保護会議が、名誉会長であり、現在も88歳の高齢ながら健在のフランス人のジャン・デラクール氏の業績を見習おうと設けた賞である。世界の鳥類学者の中から、鳥の研究、保護、飼育のすべての面で世界的な成果をあげた人を選んで贈っている。これは、最近の鳥の研究、保護、飼育が分化してしまい、研究者は狭い範囲の研究ばかり、保護をする人は保護ばかりとなっているが、鳥類の研究、保護、飼育は本来、総合してやるべきものであり、今後もっと幅の広い指導的人物を育てなければならないというので設けた賞である。

第1回の受賞者は1967年(昭和42年)のこの賞創設の時、コンラッド・ローレンツ教授というノーベル賞も受賞した人が選ばれ、私は4人目である。選考委員会はアメリカにおかれて、毎年選考をするが、該当者がいない時は見送るので、現在までの12年間に4人しか受賞していない。

デラクール賞の授賞式は、アメリカのウィスコンシン州マジソンのウィスコンシン大学で行われた希少鳥類保護の科学技術に関する国際シンポジウムの、最終日の宴会の席上であった。世界中の古い、そして新しい鳥研究者や保護の友人たちに囲まれ、心からの祝福を受けての受賞は誠に感銘深いものであった。

デラクール賞に続き、昨年はオランダ王室のゴールデンアーク勲章の第1級勲章をいただいた。6月24日、アムステルダムのサスティダイク宮殿に行き、ユリアナ女王のご臨席の下にベルンハルト殿下から勲章を受けた。この勲章は毎年、世界の生物の保護に功績のあった者に与えられるもので、1級から3級まであるが、1級勲章は昨年は私1人だった。これらに先立ち、昭和47年6月には、ロンドンのシティのホールでエジンバラ公も臨席して開かれた国際鳥類保護会議創立50周年式典の席上、鳥類保護に関する功労者として、感謝状を受けた。

これらはいずれも身に余る光栄と言うべきものだが、世界の鳥研究者仲間の温かい贈りものとして快くいただいたのである。

履歴書の紙幅もわずかになった。

私は子供の時から鳥が好きで、飼育や観察から始めて鳥の研究、保護に一生をかけてきた。研究も一応世界で認められるようになったものの、好きで始めた鳥の研究も、このごろでは毎日国内はもとより外国からまで鳥の保護についての要望が集まって来て、いささか苦しみ加減である。

けれども、昔は鳥の研究や保護をする人はほとんどいなかったのに、近年ではかなり数もふえてきたし、「愛鳥週間」はどこで行事をしても多くの人が集まり、最初は無関心であったお役所も関心を持つようになり、法律も整いつつある。さらに国会にも愛鳥議員懇話会が生まれ、鳥類保護に努力して下さっている。そういう意味では、私のやってきたことは決してムダではなかったと感じている。

しかし、外国に比較するとまだ大変な遅れがある。日本の現状は先進諸国よりもまだ4、50年遅れていると言っても過言ではない。そうした現状を日本の指導者層の人々に知ってほしいと思っている。それにはそうした人は外国に行く機会も多いと思うので、外国の実際をよく見てきて協力していただきたいと願っている。

ことに、現在緊急に必要なのは文化財保護法の現代的な改正である。ただそっとして置くだけで現代に合った保護手段が取られなければ、日本の貴重な鳥や獣、植物も次々に絶滅してしまうだろう。現在も、多くの天然記念物が、絶滅したがゆえに指定解除をするケースがたくさんある。保護の仕事をやる以上、滅ぼさないようにしなければならない。そのポイントとなるのが文化財保護法の現代的改正であり、私の余生はそのために尽くしたいと思っている。

(日本経済新聞 1979年5月25日)

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