読み物コーナー

2022年1月27日掲載

山階鳥研では絶滅危惧種アホウドリの保全や研究活動を行う中で、いろいろな方々とのご縁が生まれてきました。ここでは、江戸時代にアホウドリの繁殖する鳥島に漂着して生還した「無人島長平」の生まれ故郷の高知県香南市で、長平を顕彰するイベントに携わってこられた門脇さんに、ご自身と長平、そしてアホウドリとの関わりについて執筆いただきました。

山階鳥研ニュース」2022年1月号より

「無人島長平」とアホウドリ

賛助会員 門脇 位明

「無人島長平」こと「野村長平」は、江戸時代の土佐国岸本浦(現在の高知県香南(こうなん)市香我美(かがみ)町岸本)の水主(かこ)で、天明5(1785)年正月29日(現在の暦で3月9日)、天明の大飢饉による難民救済のため赤岡浦から土佐藩の蔵米250俵を運ぶため東の田野・奈半利浦(なほりうら)に向け出帆した帰りに「シラ(冬の大西風)」に遭い、遭難漂流しました。

13日と11時間の漂流後、長平たちは奇跡的に鳥島に上陸できました。この後のことは文献資料、小説『漂流』(吉村昭 著)や映画(東宝映画『漂流』)、高知新聞に掲載された『無人島長平物語』(近藤勝 著)、児童書『にっぽんロビンソン』(三田村信行 作)など数多く紹介されています。

12年間の孤島生活を支えたのは

長平の生きざまで特筆すべきは、12年4ヵ月を南海の孤島で生き抜き、そのうちの1年5ヵ月は、仲間の死後、火もなく全くの自給自足で完全孤独生活を耐えたことでした。

あとから漂着した大阪船、薩摩船の船乗りたちと協力し船を作って、14人の仲間と島で亡くなった者の遺骨とともに鳥島を脱出し、青ヶ島、八丈島を経て寛政9(1797)年9月22日に江戸に着船しました。その後長平は、寛政10(1798)年正月29日に、やっと故郷岸本の家に着いたことになっています。

地元では昭和2(1927)年3月に、当時の岸本町青年団が長平の墓所を改修して顕彰の記念碑を建立し現在に至っています。

写真:野村長平墓所修理記念

写真:長平記念碑

写真(上)昭和2年 奇運野村長平氏墓所修理竣成記念撮影 岸本町青年団(岸本地区まちづくり協議会提供)/(下)左側:1927年建立記念碑と墓碑。右側:1998年建立長平座像(筆者撮影)

私は1996年に香我美町(現在の香南市香我美町)職員として教育委員会に所属していました。岸本地区の方々から聞いていた地元の偉人が生還し岸本に帰ってきて、1998年でちょうど200年を迎えること、また同地区を中心に「無人島長平生還200周年記念事業実行委員会」が組織されたこともあって、私もそこに関わることになりました。

長平をはじめとする鳥島漂着者にとって、アホウドリこそ最大の命をつなぐための鳥でした。飢えをしのぐための食料としたり、卵の殻を集めて天水を溜め飲み水を確保したり、また羽毛を縫い合わせた衣で冬の寒さをしのいだのです。

この「救命鳥」とも言うべきアホウドリについて調べるうちに山階鳥類研究所を知り、ご協力をいただくことができました。1998年に開催した「無人島長平とアホウドリ展」では、ダメもとでお願いして貴重なデコイ1体を貸していただいたことをはじめとして、その後毎年、地元海岸で開催された「無人島長平まつり」にアホウドリの資料などを提供していただきました。

また、昨年(2021年)は「無人島長平没後200年事業」にあわせ、求愛ダンスのデコイ2体を新たに拝借することができ、没後200年祭や展示のほか、公民館や幼稚園での出前愛鳥イベント、東京2020パラリンピック採火式では友愛のシンボルとして活用させていただきました。愛鳥イベントで、実際に保護活動に使われたデコイを抱いた子どもたちは、鳥の大きさに驚き歓声を上げていました。

写真:デコイ展示

写真:ふれあい体験

写真(上)香我美市民館に展示中のデコイ/同(下)デコイふれあい体験(共に香南市提供)

「長平的三力」を語り継ぐ

近年では“東洋のロビンソン・クルーソー"とも呼ばれ、たったひとりで1年5ヵ月を生き抜いた長平。郷土の先人は、「長平的三力」として体力・耐力・適応力の三つをあげ長平を語り継いでいます。

長平たち漂流者の命を繋いだアホウドリは、絶滅宣言後の発見から山階鳥類研究所をはじめ多くの方が尽力されて、約7,000羽まで復活しています。香南市では、長平の顕彰とともに、あわせてアホウドリの現状についても微力ながら発信しています。

(文 かどわき・のりあき)

>> 山階鳥研サイト「アホウドリ復活への展望」ページ も合わせてごらんください。

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