歴代所長からのメッセージ


2010年1月31日付

朱鷺の野生復帰から私たちは何を学んだらよいか

山岸 哲

 トキは学名をNipponia nippon といい、わが国を代表する鳥のように思える。しかし、この鳥はロシア・朝鮮半島・中国(含む台湾)にもかつて広く分布していた。また江戸時代には日本全域で見られたようだ。明治時代になると銃の使用が認められ、狩猟によりその数が激減し、大正末期には絶滅したと信じられていた。昭和初期に少数ではあるが再発見されたものの、1950年代初めには野生の個体数は40羽を割っていた。1970年に能登半島で1羽、1981年に佐渡で5羽が捕獲されて飼育下に移され、日本に野生トキはいなくなった。この昭和の減少の原因は、1)農薬に汚染された餌を食べた、2)繁殖地の森林が破壊されたことによる。そして、飼育されていた日本産トキの最後の1羽、「キン」が2003年に36歳で死亡し、わが国のトキは完全に絶滅した。

 では絶滅したトキを日本の空に取り戻す意義は何だろうか?わが国に限っても、私たちはこれまでに13種の鳥類を失っている。トキを日本の自然の中に復活することは、私たちが失ってしまった鳥を、もう一度取り戻すことにまず意義がある。しかし決してそれだけではない。トキが野外で生きていけるということは、そこに十分の餌があることであり、営巣する場所が存在することである。トキを放鳥することは、トキが生息していける環境全体を守ることであり、それは、私たちが失いつつある里山の生物多様性や生態系全体を再生することであり、さらにそこに住んでいる地域の人々がトキと共生することである。トキの再生は、地域社会の再生でもあるのだ。

 また、トキの放鳥を契機に日本の野生生物全体の保全を考えるきっかけになるだろう。現在、わが国には絶滅が危惧される種が、鳥類だけでも92種存在する。その多くが、近い将来、トキやコウノトリがたどった道を再び歩む可能性を秘めている。それを回避するために、生息地の早急な保全を実施することはいうまでもないが、加えて、遺伝的多様性が極度に失われた種については、絶滅リスクの分散として、個体群絶滅した地域への再導入もいずれは検討する必要性が出てくるであろう。その際、トキの再導入で得られた様々な知見と手続きは、こうした後続の種の保全にとって大いに参考になるであろう。



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