4.5.2 農村部の餌環境


 農耕地のドバトの生活を調べるため、神奈川県平塚市の農村部を調査地とし、1976年12月から1978年4月まで毎月1回ドバトの観察を行った。調査地は主に水田からなる農耕地で、畑の面積は少ない。近年開発が進み、住宅地、学校等が建設され、調査地内に散在している。調査は面積約10km2の調査地内に18.9kmのコースを定め、観察されたドバトの位置、行動、個体数を記録した。

 観察されたドバトの個体数とその行動は、図4.10に、また採餌していた場所は図4.11に示した。ドバトの個体数と採餌場所の選択の季節的な変動は、次の3つのパターンに分けられた。
  1. 9〜1月:刈り取り後の水田が採餌場所として利用され、その依存が高い。観察された個体数は年間を通して最も高く、採餌をしていた個体の割合が高い。
  2. 2〜5月:刈り取り後の水田への依存は低くなり、採餌場所は変化に富む。休耕地や畑(収穫後、栽培中)等も利用する。これは、水田の餌が少なくなったためと考えられ、枝豆等への食害が起る背景のひとつであろう。
  3. 6〜8月:水田がほとんど採餌場所として利用できず、収穫後の畑で採餌している。調査地内のドバトの観察個体数は最も少ない。

図4.10 平塚市農村部のドバト観察個体数とその行動
図4.10
[浜口哲一原図]


図4.11 平塚市農村部のドバトの採餌場所の季節的変化
図4.11
[浜口哲一原図]


 調査地の採餌場所としては、水田刈り取り跡地が年間を通して最も良く利用されており、その利用は9月から5月に及んでいる。この水田刈り取り跡地でドバトが採餌するのは、落籾を餌としているためと考えられる。宮城県伊豆沼地方での測定報告 1) では、落籾(精籾)は1m2当り67〜89粒になるという。ドバトは、夏に比べて大きな群を形成し、これらの水田を移動しながら採餌している。この時期の群は、非常に不安定なもので、たえず群が分離・集合を繰り返し、しかもその移動する範囲が広い。餌条件が均一にもかかわらずドバトは群れて採餌活動を行っていた。
 秋から初春にかけての調査地は、観察個体数の増加から調査地以外で就塒しているドバトも、採餌場所として利用しているものと考えられる。乾田化した冬期の水田刈り取り跡地は、農耕地の餌条件を良好にし、一時的に生息個体数を高めている。調査地でみられたドバトの群は、他地域の水田刈り取り跡地でも普通に観察され、なかには400羽程の群もみられている。

 次に、このような乾田化した冬期未使用の水田(田耕地)が出現した背景について検討する。国内の田耕地は現在やや減少傾向を示している(図4.12)が、この増減は、開田による増加と農地転用(田耕地のかい廃)による減少により左右される。ドバトの有害鳥獣駆除が実施された当時の1964年の田耕地の動向 8) は、北海道、東北、北関東の各県の開田による増加と、南関東以西各県の都市近郊の人為かい廃による減少が著しいという。この傾向はその後も続いており、特にかい廃面積の増加は1960年以降著しい(図4.13)。これは、農耕地の人工建造物の増加につながり、ドバトの営巣・就塒場所を提供し、定着を可能にさせる背景になっている。平塚の調査地域等でも、農耕地内にある比較的新しい建造物を就塒場所として利用している。

 田耕地の冬期の利用面積(作付面積)は、年々減少傾向を示し、最近では10%程である 9)(図4.14)。戦前までは、国内の二毛作地帯では湿田を除いて水田の裏作としてムギやナタネ(野菜)の栽培が行われていたが、戦後米の生産が過度に強調され、稲の早植え栽培が急激に増大され、従来の栽培形態では米の収量が減収になることとムギやナタネの価格が米に比べて安くなったことにより、田耕地の冬期の利用が低下したという 3)。

 このように農業の栽培形態や農耕地の利用形態の変化とともに、水田の乾田化、機械化により、現在みられる土はだをさらし、休閑された水田が比較的近年になって作り出され、これが農村部のドバトの重要な採餌場所になっていると考えられる。

図4.12 田耕地面積の推移
図4.12
注:「日本農業基礎統計」より作成


図4.13 田耕地のかい廃面積
図4.13
注:「日本農業基礎統計」より作成


図4.14 田耕地の冬期作付面積の割合
図4.14
注:「日本農業基礎統計」より作成



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