明治中期の鳥島

満山萱茅(八丈方言マクサ)密生せりその間は皆悉く信天翁の棲息所にして殊に島中三四ケ所に鳥原(とりっぱら)あり、山頂の鳥原は廣袤拾餘町幾億萬の鳥群哦々として棲息す移住人此所を称して海鵞原といふ其他の鳥原も五町或は三四町もありて鳥みな群をなし遠く望めば白雪を堆積するが如く近く眺むれば一大養鵞場に到るが如し欧米都会の家禽場と雖ども何ぞ斯の如く壮大なるものあらんや仰で蒼天を見れば群飛聚蚊の如く其海に浮ぶものは白波の瀲々たるが如し實に驚くに堪へたり

(山はすべてススキが密生している。その中はすべてことごとくアホウドリの生息地で、ことに島の中の3~4ヶ所に集団営巣地がある。山頂の集団営巣地は広さ十数ヘクタールあり、幾億万の鳥の群れがガアガアとにぎやかに棲息している。島に移住した人はこの場所を称して「海鵞原(海のガチョウの原)」と言っている。その他の集団営巣地も5ヘクタールあるいは3~4ヘクタールあって鳥はみな群れをなし、遠くから見ると白い雪が積もったように見え、近くで見るとガチョウの一大養殖場に来たように見える。アメリカやヨーロッパの都会の家禽養殖場でもこのように壮大なものはないだろう。青空を見上げればアホウドリが群れ飛んで蚊柱のように見え、また海に浮ぶアホウドリは見渡す限り白波が立っているように見える。実に驚くばかりである。)

(服部徹「鳥嶋信天翁(ばかどり)の話」。原文は「動物学雑誌」1巻12号(1889)より。一部パソコンで対応しない漢字を同義の漢字に改め、変体仮名を現在使われている仮名に改めた。)

 

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