所蔵名品から

第9回 絶滅した?朝鮮半島のトキ
ートキ(コウノトリ目トキ科)ー

種名 トキ Nipponia nippon
性別 不明
番号 32
採集日 1919年1月
採集地 慶尚北道醴泉(朝鮮半島)

トキは日本では消えゆく鳥の、または絶滅の象徴としてあまりに有名になっています。実際、トキは今でも世界で最も数の少ない鳥のひとつです。現在わが日本産のトキは、飼育されているキンちゃん1羽になってしまいました。

かつてトキは東アジアに広く分布し、19世紀には西は中国内陸部の甘粛(かんすう)省、南は海南(はいなん)島・台湾、北はアムール川まで、そしてもちろん朝鮮半島や日本各地にも普通にいたようです。しかし20世紀の半ばを過ぎると、トキの記録は日本以外では中国の陝西(シャンシィ)省洋県と朝鮮半島中央、ロシアのウスリー川中部だけになってしまいました。日本と中国洋県のトキは夏と冬で大きな移動をしませんが、朝鮮半島のトキはもともと冬鳥とされ、ロシアで繁殖したトキが渡ってきていた可能性があります。この時点で、世界のトキは、互いに交流の無い中国洋県と日本、そして朝鮮半島ーロシア(朝鮮半島産)の3つのグループだけになっていたと考えられます。

朝鮮半島のトキは1966年を最後に絶滅したと巻殻れていましたが、1974年ツルの調査のために滞在していた国際ツル財団(ICF・アメリカ)のアーチボルド博士が、朝鮮半島を二分する軍事境界線にある板門店(パンムンジョム)附近で4羽のトキを発見しました。博士はこの絶滅寸前の朝鮮半島産トキを救うため、トキを捕獲し、日本の佐渡に運んで人工増殖する準備をすすめました。しかし、捕獲方法として最適なロケットネットは火薬を使った大がかりな仕掛けのため、軍事的緊張状態にある非武装地帯の中で使うことは不可能です。そこで、当時すでに親しく交流していた山階鳥研で無双網(注)の技術を学び、なんとか捕獲しようとしたのです。

結局アーチボルド博士の努力は成功することなく、1978~79年の冬を最後に朝鮮半島からトキの姿は消えてしまいました。

日本のトキは過去50年ほどの生息状況や減少してきた経緯がかなりはっきりしていて、標本も多く残っています。山階鳥研には1893年新潟県産の剥製標本が2点と、新潟県佐渡産の卵標本2点(3卵)があります。

一方朝鮮半島のトキは相当数が生息していたようですが、記録が断片的で、残っている標本の数も多くありません。アメリカの鳥類学者オースチンは“THE BIRDS OF KOREA”(1948年)の中で26点の朝鮮半島産の標本を記載していますが、このうち9点は先の戦争で失われてしまいました。また、昨年新潟県から発行された『トキ保護の記録』によれば、日本にある55点のトキの剥製標本のうち朝鮮半島産は13点です。したがって、現在世界中に残っている可能性のある朝鮮半島産の標本は、わずか30点あまりということになります。

山階鳥研には、1902~1930年にかけての剥製標本が8点あり、産地は半島各地の5箇所に及んでいることがラベルから読みとれます。これらの標本は、単に希少な種の標本というばかりでなく、ほぼ全滅したと考えられる朝鮮半島産トキのかけがえのない資料でもあります。(資料室標本担当 百瀬邦和=ももせ・くにかず)

【山階鳥研で所蔵する8点の朝鮮半島産トキ標本】
標本番号 採集地 採集日 性別
25809 朝鮮全羅南道木浦 1902年1月 不明
25807 朝鮮 1912年1月 不明
32 慶尚北道醴泉 1919年1月 不明
25808 朝鮮黄海道海州郡海州 1919年1月 メス
2497 威南元山 1929年3月 不明
2683 朝鮮威鏡南道元山付近 1929年3月 オス
2684 朝鮮威鏡南道元山付近 1929年3月 メス
3710 朝鮮忠清南道公洲郡公洲 1930年2月 オス

山階鳥研NEWS 2001年10月1日号(NO.151)より

▲ このページのトップへ