ティッケルと吉井による鳥島調査

 「アホウドリの実態を調べたい」とこの4月にイギリスの鳥類学者ティッケル博士(Dr. Tickel)が、英国大使館を通じて日本政府に申し入れてきました。その話が私の勤務先である山階鳥類研究所に回ってきたので、これはよい機会とばかりに案内もかねて鳥島に行ってアホウドリを見てくることにしました。

 鳥島は、昭和40年の大地震以後、気象庁の観測所も閉鎖され、アホウドリがその後どうなっているのかはっきりとせず心配されていました。上陸するのも困難な島ですが、今回の調査にはイギリス海軍が全面的に協力してくれました。(中略、4月29日に一行5人が軍艦からヘリコプターとゴムボ-トで上陸。30日に調査にとりかかる。)

 燕崎の上の絶壁から営巣地へ下りようとしましたが、なに分にも急傾斜で落石も多くダメでした。崖の上から飛翔しているアホウドリを見ただけで、ここからの調査はあきらめ、午後はゴムボートを出して海上から接近し、ティッケルさんだけが上陸。何しろロッククライミング並みの上陸でカメラも持っていけないほどでした。私はモートン大尉にボートを操縦してもらい、できるだけ陸地に近づいて海上から調べました。海流と風のため、ちょっとエンジンをとめていると、あっという間に1キロぐらい沖合に流されてしまい、なかなか落ち着いて見ることができませんでした。

 しかし、あとでティッケルさんの数えてきた数と私のとはぴったり一致しました。アホウドリは2ヶ所に分かれて営巣しており、西側に成鳥が18羽、東側に成鳥が7羽、計25羽いました。幼鳥は色が地面と紛らわしいので海上からは分りませんでしたが、ティッケルさんは、ことしかえったヒナ24羽を地上で数え、それ以外にも飛んでいる数羽を観察しています。頭と首が美しい金色をしている成鳥個体は6羽で、他は、まだ頭や首に黒っぽさが残る若い成鳥でした。(中略)

 アホウドリが五十羽近くいたこと、若い成鳥が多かったことは、アホウドリの将来に希望を持たせてくれました。若い成鳥が多いのは、最近、繁殖がうまくいっていた証拠ですし、老成鳥は比較的早く繁殖を終えて島を去るので、もっと早い季節に調べればアホウドリをもっと沢山認められたことでしょう。(中略)

 帰りは別の船アントリム号が迎えに来てくれました。ブロンソン号より大きく排水量五千トンの「誘導弾搭載駆逐艦」です。昔風にいえば軽巡洋艦といったところでしょう。沖合はるか、双眼鏡を使わないと見えないほどはるか沖合にとまり、ヘリコプターで私たちを迎えてくれました。この日も風波が強く、結局ゴムボートは島に置いてきました。今、鳥島に行けば、女王陛下のエンジン付きゴムボートを失敬できますよ。

吉井正(1973)「無事だったアホウドリ」「野鳥」38巻8号より(1973年4月に実現した調査についての読み物)。

 

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